野麦峠の天然林


私と同じシングル・だが私と違って体力気力が充分な山屋の母友から
「ねえ柳子さん、子供連れでどこかハイキングに行かない?」
と誘われて「良いねぇ~じゃ、私ら、体鍛えとくねぇ(親子とも体力には自信なし)」と調子の良い返事をし続け、しかしハイキングの計画は流れ流れて早、数年。

山をやっていただけあって行動的な彼女に、ついこの間も美術館のワークショップに誘われ、止せば良いのにまた
「良いねぇ、面白そう、行きたいんだけど予定がわからないんだよねー」
という毎度の返事をしていたら、ワークショップの締め切り間際に彼女から
「柳子さんの態度はいつもあいまいでyesかnoかわからず、迷惑です。」とビシッとしたメールが来た。
………おっしゃるとおり。
深く反省した私は、そうだそうだ、動かなきゃ、後回しにしないで計画立てなきゃ、子供だってもう6年生でもしかしたら今年が親と一緒に出て歩いてくれる限界ギリギリかもしれないし…さて。

う~ん、どこにしよう。
やっぱり近いところがいいな、日帰りだし。
でもって、できるだけ混まないところが…。

…と言うわけで、取引先から連絡が来ない連休に一日空けて、しかしこれまた都合よく奈川の友人を頼り、ハイキングの行き先を相談。
「え~と、…友達は毎年秋の涸沢に登ってるし、ドコでも楽勝なんだけどさ。一日ほとんどパソコンの前に座りっぱなしの超運動不足の私が歩いて戻ってこられるところで、できれば峠道」
すると奈川の友人Sちゃんが言うには
「なら野麦峠かな。ガイドお願いしといたよ、ベテランだからね。時間は上でゆっくりお昼食べて遊んでも往復3時間だよ」OK、OK。そんならオーケー、ありがとうSちゃん(感涙)。

予定の日間で、お天気は不安定で冷え込む日が続き心配したが、当日は朝からすっきりと快晴。
いつもどおり寝不足な目をこすりながら前日に用意した弁当を詰めて、友人と共に奈川に向けて出発だ。
連休で朝から道は混むかと思いきや、なんと40分で待ち合わせ場所に到着。約束の9時までに、あと40分もあるじゃん、おお!?こんなに近かったっけ!?奈川。
そう、今はここも松本市だし近いことにそんなに感動する事もないが…でも奈川・乗鞍・上高地まで松本市ってのはなんだかねぇ。
おっと話が逸れるので戻して、

あ~久し振り、周りは山ばっかり、嬉しいな ♪
地元奈川のベテランガイド「奈川案内人の会」のTさんにご挨拶し、まずはオリエンテーションから。

早速子供たちはTさんの説明に聞き入る、よしよしマジメに聞いとるぞ…

たまに目がアッチコッチいってるのはオマエか、我がムスメよ?
と、突然Tさんが「今日はあなたたちにプレゼントしたいものがあります。」

Tさんが取り出したのは、獣の骨と牙かと一瞬思ってしまうほど、白く美しく磨かれた木のキーホルダーだ。
ゲンキンなことに突然Tさんの手元に集中する我がムスメ(笑)。
木で作った素朴なキーホルダーに子供たちは大喜びの様子、へぇ。

峠の登り口で、怪我の無いように固まった体をほぐす運動をTさんに教えていただく。
そして荷物のチェックもしていただき、さらに靴のフィッティングと靴ひもの結び方も教えていただき、至れり尽くせりで心強いったらない。
さあ、ではクマザサ対策に手袋をはめて、いざ、峠道へ。

ここ野麦峠はかつて、多くのうら若い娘たちが飛騨から信濃へと国境を越え、出稼ぎ先の製糸工場へと向かった道だ。
今では良い車道が通り、私たちの待ち合わせ場所から峠の頂上まで、車ならほんの十数分だ。

今どきの私たちは足もとはトレッキングシューズ、服装は長袖長ズボン、そしてリュックには色々なものが詰っているが、往時のいでたちはとても質素なものだったにちがいない。

最後尾の私の前を行く2人の娘に、わらじ履きで峠を越えて諏訪へ向かった娘たちの姿をだぶらせて見る。
なんだかんだ言っても今って、良い時代なんだよな。

登る途中、Tさんは木の見分け方、山野草や山菜の名前について話しつつ、私たちのペース(というか私か・笑)に合わせて時々休憩を入れてくださる。
ガイドさんと歩くのは初体験だが、大変良い。本当に最高。
また、子供というのは親よりも他人の話を良く聞くものらしい。不思議だ…え、ウチだけ?

・・・まあいいか。

それにしてもクマザサの茂りようは素晴らしい。明るいカラマツ林の林床を、我が物顔で支配している。
ハイキングの前日まで、奈川はかなりの荒れ模様だったそうで、野麦峠をゆく車道も開通したばかり。なんとこの峠道は今日の私たちが初踏だそうだ。

Tさんが先行して、ところどころに落ちている木の枝を取り除きながら歩いてくださる。…自分でやらなくて良いって、楽だな~。
途中手ごろな木の枝を見つけたグロッキーな私、それを杖にして登っていたら子供たちが「いいなぁ」。するとTさん、良さそうな枝を拾うと鉈をちょいちょいと動かし子供たちに杖を作ってくださった。

子供たち、また大喜びである。
峠の中ほどには清水が引いてあり、くり抜いた丸太に満々と美味しそうな水を湛えている。

この丸太もTさんたち案内人の会のみなさんが、ここまで背負って担ぎ上げて設置されたと聞く。手を合わせて感謝し、持ってきたお茶よりもおいしい水を持参のポリ容器に全員で汲む。
あー、美味しいなあ。さて、あと一息。

登る前にTさんが「一箇所、是非ゆっくり見てもらいたい所があります。それは着いてのお楽しみ」とおっしゃっていた。

天然林と人工林の境だ。
まさにちょうど、ここがその境界線。明るいカラマツ林の向こうから、ひんやりとした空気が流れてくる。
こんなにくっきりと分かれているところは初めて見た。
来た道を振り返ると、直立したカラマツの足もとにクマザサがおい茂る、材を採るために人間が作リ出した「人工林」が広がる。それは、カラマツとクマザサの単調な景色だ。

一方正面に広がる森には、老いたブナ、カエデと様々な広葉樹、そしてコメツガ、トウヒなどの針葉樹がお互いに枝を避けあいながら共存している。

まだ峠道にも雪が残るここでは、天然林の下には羊歯やカンスゲなどしか私には見つけられなかったが、きっと、明るい道の脇にはこれから様々な花が咲き出すのだろう。

Tさんがブナの木についてお話をしてくださる。
その類稀な保水力のこと、新緑の美しさ、コケが乗った年老いた幹の風合いの面白さ。

そこで私は、手をぐるぐる回して両方向を指差し、ウソのつけない性格の我がムスメに
「こっち(天然林)とこっち(人工林)どっちが好き?」と聞いたら
「こっち」と天然林を指差すではないか。
…え、そうなの??

実を言うとムスメは、学校の登山を除きまともな山歩きは今回が初めて。これまで近所の山へちょいと連れて行くと、車道を外れて山道を行こうとする私の袖を引いては
「おかーちゃん、そっちへ行ったら熊がでるよ、危ないよ、早く帰ろうよ」
と不安丸出しの顔で母を引き止めるのだった。
…山に対してはかなり、ノリが悪いムスメに不便していた私は内心、ニンマリ。

木漏れ日の爽やかな天然林の間を抜けてゆくと、Tさんが
「さあ、ここからちょっと危ないよ」と言って歩を止める。
見ると登山道の先には開けた急斜面があり、雪面が先まで続いている。ウッカリ足を滑らせたら、滑り落ちてクマザサの中に突っ込みそう…

Tさんが先に立ち、足を使って雪面に階段状の道をつけてくださる。本当に至れり尽くせり。最後尾で雪の階段を上がる私。
私の先を行く子供たちが、登りきったとたんに2人同時に大きな歓声を上げる。「うわー、すごい!」

雪をいただいた乗鞍岳が澄んだ青空を背景に、くっきりと、眼前に聳えている。
降ったばかりの雪で化粧した美しい乗鞍岳に見とれていると、Tさんが峠の頂上を通る道路の真ん中に立って子供たちを呼んでいる。
「さて、私はこっち、あなたたちはそっちに立ってごらん。」?という顔をしながらも素直に従う二人、よしよし(笑)。
Tさん「君たちは、長野県に立っている。私は岐阜県に立っている、はい、お互いに、手を取り合ってこんにちは」

最初は何のことかいった表情だった彼女たち、自分たちとTさんが「県境」をまたいで立っていることに気づくやいなや、たちまちに笑い出し、「へぇ~!」と抱き合ってはしゃぎ会う。

そんなことをしている私たちの横を、バイクや車が数台、通って行く。
車から降りて駐車場を歩く若いカップルのいでたちは、Tシャツにミニスカートにハイヒール。
私たちが一時間かけてのんびり登ってきた峠道を、この人たちは瞬く間に駆け抜けてきたのだろう。

駐車場の横の豪華な石のテーブルでお弁当を広げると、Tさんが汲んで来た清水を沸かしてコーヒーをご馳走してくださった。
同行の友人も、バーナーとカップを持参していた、さすが山屋さん。
あ~おいしい。

素晴らしい景色を、手にとれそうなほど近くに見える山を眺めながら人様に入れていただいたコーヒーをいただくのも最高だが、たとえ自分で作ったものでも外で食べるごはんは最高においしい。

贅沢な景色。深い青空。ここにこうしていられる自分たちは、幸せだ。
お金をかけなくても、少し車で走れば、そして少し歩けばこの山に出会える。
自分が住んでいる町には、誰もが何らかの思い入れがあるだろうが、私は一度「外」に出て、初めて自分の故郷を真正面から見ることが出来たように思う。

山国・長野県を取り巻く状況は厳しく、対策をしていても追いつかない虚しい現実がある。それでも、私はこの山国が好きだ。
そして今私の目に映るこの山は美しく、こうして目の前にただ、ある。

Tさんや友人と色々な話をしながら、のんびりのんびりお弁当を食べて、たっぷり休憩して、帰途につく。

下りの歩き方を改めてTさんから注意していただく。靴ひもの縛り方も再度教わり、杖を使いながら膝に気をつけて峠を下りる。
やはり下りは早い、あっという間に駐車場に到着だ。

帰りがけに少し寄り道。川を渡り、明るい高原を全員でのんびりと歩く。

開けた草地には、春には様々な花が咲くのだろう。

旅の最後には、旅館を経営しているSちゃんのところに寄って温泉をいただく。これまた貸切でのんびり手足を伸ばす。
まだ日が高く、目の前を流れる清流も見える。
あ~極楽、極楽。本日の野麦峠は峠道、高原、締めの温泉とすべて貸切の贅沢な旅だった。

十二分に満足して家へ帰り、お土産にいただいた柔らく美味しいフキノトウを天ぷらにした他はやっつけの晩御飯を食べながら
「今日、何が一番印象に残った?」とムスメに聞いたら
「天然林と人工林の境目の、天然林」と答えたので、驚く。

実は山歩きの後でTさんが立ち寄ってくださった高原のアスレチックで、子供たちは大はしゃぎしていたからだ。
どうして?とまた聞くと
「なんか、ありのまま、って言うか、昔からここにあったって感じがするから」。

見ようによっては、明るく、均整の取れたカラマツ人工林の方が「きれい」と映ることもあるかもしれない、と思っていた。今どきの子供たちであれば、なおさら…。
だから、彼女の答えは私には意外で、そしてとても嬉しかった。

秋葉街道の青崩峠に続き、数ヶ月のうちに二つの峠道を歩いた私。それぞれに印象は強いが、前回は爺が、今回は子供が主役だ。
今日の峠ハイキングが彼女たちにとって、楽しい経験になってくれたら、覚えていてくれたら良いなあと思った。

…そして母はやっぱり、普段からもっと体を動かさなくちゃね。筋肉痛には温泉のおかげでならなかったが…でもひたすら眠いんだよね、山歩いたあとの数日間…。
仕事を理由に体力の向上をおろそかにしていた自分のことも、改めて反省した野麦峠だった。


Diary : 信州 index

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