信州  p2

遠山郷紀行 Ⅱ  小嵐神社

親子の珍道中・遠山紀行は、上村の伝承館から下栗、そして遠山川をチョコッと見た前回に引き続き、和田の町へ。

蕎麦好きな父のため、昼食は丸西屋さんへGO。…あれっ、こんなところにも私が作ったポスターが!w この席になったのは偶然です。

蕎麦好きの父は美味しい蕎麦にご機嫌である。

しっかり食休みもして、お会計のときにおかみさんに
「あの~小嵐神社ってここからどう行くのでしょうか」と道を尋ねる。前回の来遠時に出会った木沢の皆さんから「商売の神様だから、是非行け」と言われていたのだ。
解りやすそうな目印を教えていただき、元々記憶力が長持ちしない私と、記憶力が衰えている爺は一安心。
「道は林道ですか?けっこうハードなんでしょうか」と更に訪ねるとおかみさんが
「道はそんなでもないけどねぇ、落石がけっこうあるんねぇ」
とにこやかに、かつさらりとおっしゃるので、また内心冷や汗をダラダラとかく私。
落石…釣り人たちから聞いた遠山郷の「パンクの洗礼」あれもこれもと思い出す。い、嫌だ。
でも何処を走っても集落が途絶えたらまさに山、というここ遠山、もう行くしかない。…怖くなったら、すぐに戻ろう…。

学校の横を入り、上り坂を行くとすぐに民家は途絶え、道は急な登りへ。
「あれ?道、こっちかな??」どっちへ入って行っても山、という分岐にやや迷いながらも上へと進む。
そして少し不安になった私、前からステッキを突いて歩いてきた老夫婦を見つけるやいなや車を止め「あのうすみません、ちょっと教えていただけますか、小嵐神社は…」と道を尋ねる。
「ああ、そうな、ここから20分くらいかな。」こっちで良かったんだとホッとする。
お2人に礼を言ってまた車を走らせながら、父に
「…ねえねえ、この先になんにもなさそうなんだけど、どこから下ってきたんだろうねぇ、あのお2人」と聞いてみるが「わからん。」とアッサリした返答。
きっとお散歩だよね。でもハードな散歩だなあ…私ならザックを担いで山歩きの装備かな…そして手にはステッキだけだったな…。

乾いた山の斜面の間の道を車は登り続ける。
…うん?なんだか道がほこりっぽくなってきたぞ。
あ。やっぱり

ここ、こわい。落石だ(細かいけど)。
しかも、手で退かすにしてはパラパラすぎる鋭利な石…、竹箒が欲しいぞ。大胆に踏んで行く車が殆どなんだろうけれど、私のン年越しのスタッドレスではいつシュ~、となるかわからない。
上手なのか下手なのか自己判断できかねる避け方で、車を走らせる。
途中どうしようもない落石をどけながら……いいよ爺は車から降りなくて!
だからいいってば私がどけるってば!石が落ちてるって事はまた落ちてくるってことでしょ!!そんなにのんびりどけてたら危ないって!!チョッと爺さん!!!
良かれと思ってしていることで親子喧嘩もみっともないので、腹の中でそう叫びながらとりあえず一度目はお礼のみ言う。次は短気でせっかちな父よりも先に、私がドアを開けよう(笑)。

落石をどけながら、それでも車は更に山道を登り、…ねえ…本当に神社、あるの??まさか通り過ぎたとか…

と心元なくなってきたとき、視界が開けた。

小嵐神社だ。すっかり心細くなっていた私、ホッと安堵して車から降りて体を伸ばす。
あ~~ヤレヤレ、やっと着いた。さあ行こうか…あれ、行かないの?昼寝して待ってるって?朝早かったしね、じゃ、ちょっと行ってくるね。
あたりはしんとして、鳥のさえずりが聞こえるだけ。
山の斜面に目をやると、重なった赤い鳥居が見える。

車一台通らず、私たちのほかは人っ子一人いない山の上。
趣があるのを通り越して、神様がじっとこちらを見ているような畏怖を感じる。

社の立つ斜面には無数の鳥居が奉納されている。
商売の神様と言われるこのご神体に対する人々の信仰心の深さに、言葉を失う。
うす暗い杉林の中の、小高い丘の上に建つ社。奉納された無数のお稲荷様のひとつひとつが、人びとのそんな切実な思いを語りかけてくるようだ。
社とお稲荷さんたちにカメラを向けるのは憚られ、私はそっと、そして足早に社を後にした。

累々と重なる赤い鳥居を眺めながら、父の待つ車へと急ぐ。
足早に歩く私は、人間の日々の生活への期待と不安、そして富に対する憧れと執着を受け止める神様の迫力に圧倒され、手を合わせただけで何も願わなかったことを思い出す。

帰り道は来た道を戻らずに木沢へ抜けてみようかと思っていたが、しんとした小嵐神社の雰囲気とこの先の落石に不安を覚えて、やはり来た道を引き返すことにする。

道中何事もありませんようにと念じながらハンドルを握り、無事に山を下り人家が見えたときは心から安堵した。
里に帰してくれてありがとうございます。本気でそう思った。

今も木沢集落の人々によって大切に守られ、真新しい鳥居が増え続ける小嵐神社。
ここ遠山には、今も無数の神々が住んでいる。
・・・そのⅢへ続く


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遠山郷紀行 Ⅰ  下栗集落

孝行をしたいときには親はなし
…という諺を最近ふとした拍子に思い浮かべてしまう、万年親不孝な私。
そんな私が意を決し、齢八十に限りなく近づかんとする父をMT2シーターの愛車の助手席に乗せ、信州の最南端を目指して一泊二日の旅に出た。

朝日に照らされ晴れやかな顔で私たちに手を振る北アルプスに暫しの別れを告げ、南アルプスの麓を目指し、安曇野インターから高速へ。

旅の目的地は南信州・遠山郷の長野県と静岡県の県境である青崩(あおくずれ)峠だ。
マラソンイベントの手伝いのために遠山に通うようになった私が、土日に面倒を見て貰っていた娘を迎えに行き土産話(だけ)で誤魔化していると、父が「青崩れ峠は一度歩いてみたかった所だなぁ」。
…えっと、それじゃあの、行きましょうか?一緒に。

免許は返上していないが、目や足腰が衰えて遠出が出来なくなった父。「遠山郷」にはかれこれ、20年前に旅したことがあるそうな。それは、狭く曲がりくねった山道に不安を感じながらの旅行だったそうだ。
今は10年ほど前に開通した矢筈トンネルのおかげで、松本から2時間半ほどで上村に入ってしまう。

私の遠山行きは、去年から数えて今回で三回目だ。
三回も来ていればさぞやあちこち回れていそうなものの、記憶に残る場所といえば遠山川、それも一部分のみ。何故か?
それは、イベントの言い出しっぺが釣り人であり、彼らが行くところと言えばコースと「遠山川」オンリーだったからである。
そして1日のうちに取材だけでなく挨拶やら会議やらのミッションをコンプリートせねばならず、私は『あああそこも是非行って見たかったとこじゃん!おおここも見てみたかったとこ…』と寄ってみたい「興味しんしんポイント」を恨めしげな横目で見ながらスルーしつつ、毎回忙しなく帰途についていたのである。

これまでにしたこともないことを突然すると大雨が降るとか言うけれども、高速道路から見上げる目的地上空はさわやかに晴れ、親不孝ムスメの旅の行方に雨雲を招かなかった南アルプスに感謝する。
さて、完全プライベート旅行の今回こそ私的チェックポイントを網羅するぞ。

霜月まつりが行われる、上町正八幡宮。

町並みに溶け込む、上町正八幡宮のたたずまい。それは日常に溶け込み、神様との敷居の低さが感じられる風景だ。

石段の横には見事な杉の木がある。
この杉は、どれほど長い年月、上町の人々とその祭りを見守ってきたのだろう…って杉の肌をしみじみと撫でている場合ではないぞ。
さあ次だ、上村の歴史と文化を学ぶべく上村伝承館へGO。

町筋は明るく、けれどひっそりとしている。
本の虫で館内のお面がレプリカであることを知っている父はいまひとつ気乗りがしない様子だったが、敷地内の古民家「ねぎや」を見るなり
「おおっ、これは20年前に泊まった下栗の宿とよく似てるぞ」と興味津々。

伝承館は貸し切りだった。
館長さんの話を伺いつつ、館内をじっくりと見て歩く。
「写真は撮ってもよろしいでしょうか?」と了解を得て、私達のほかには誰も居ないのを良いことにフラッシュを炊かずにシャッターを押し続ける。

山岳信仰や山の民衆文化にとても興味がある私。
実際に人が手で触れ、暮らしの中で使われてきたこんなものを見ると、いろいろな想像が膨らむ。

そして民具も着物もガラスケースに入っていない所がまた、良い。

山ばかりのジオラマも面白い。
この険しい山中に、よくぞこれほどの集落が発展したものである。古くから物流に、戦国時代は進軍にと、ここ秋葉街道は交通の要だったのだ。そして今日の宿は静岡へ向かうその秋葉街道沿い、長野県の最南端に近い八重河内だ。

あっ、こんなところに私が作ったポスターが!!遠山郷各所に貼るとは言われていたが、こうして実際に目にするとやっぱり嬉しいな。
館長さんと記念撮影。
ウエブサイトも作って募集したら参加者も順調に集まり、ホッとしている。

館長さんにお礼を言って上町を後にする。
父の旅の目的はひとつだけ、青崩峠を歩くことのみ。今日の宿は八重河内なので、峠歩きは明日の朝にしてある。
宿に入るまで、時間はたっぷり。
という訳で「せっかくだからさ。下栗、登ってみようよ~」と、看板にしたがって左折して「下栗の里」へ。

途中寄り道をしてシャッターを押しながら、山道を登る。

下栗は幾度か通ったが、軽自動車でも狭く感じる急勾配・急カーブの九十九折れが続く。
歩いた方が早いんではないか…という速度で車を走らせ、その車を避けて道に立ち止まるおばあさんに「あ、どうもすみません、こんにちは」と私達は頭を下げながらゆっくりと登ってゆく。

下栗集落の九十九折れは有名で、あちこちのHPやガイドブック、観光パンフレットにも、そして全国版の地図にも「日本のチロル」などと紹介されている。
急斜度と見おろす真下の遠山川の遠さ、目線にある霧が立つ重なる山々、そしてその向こうの南アルプス…この空気、この景色の特異さはやはりこの場所に立ってみないとわからない。

シーズン前でまだ営業していない「ばんば亭」の駐車場に車を入れて、よくガイドブックに出てくる撮影ポイント・「斜面に立つ空き家と南アルプス」を撮影。

ここ下栗も、奥に発電所が出来たとき道も舗装されてだいぶ良くなったそうだ。家々の間には、ちょうど下栗名物・「二度芋」の植え付けが始まったであろう急斜面の畑が点在している。
立って鍬を振るうのも大変な苦労だろうな、と感心しながら早春の下栗の風景を父と無言で眺める。

あっ、なんと下栗にも私が作ったポスターが!w
下栗もマラソンコースに入っているけど歩くだけでもキツイ道だよ?

父の反応を見ていると、20年前と比べても集落の雰囲気はあまり変わっていないようだ。当時泊まったと言う宿は今は閉じられてしまったらしいが、探そうとしても父の記憶が古すぎて、場所がわからない。

しばらく景色を眺めながらのんびり休憩して、下栗を下る。せっかくだから遠山川も見てもらおう。
「ちょっと、行ける所まで行ってみようか。心配ならすぐに戻るから」
行ける所と言えば南アルプスの登山口、聖光小屋までは車で行けるのだが、この道、そのまんま石槍や石ナイフになりそうな、とんがった落石がけっこう多いのである。
そして道の上にあるということは、あたりまえだが上から落ちて来た、と言うことだ。
車の窓を半分ほど開けて(全開はなんとなく怖いから)落石の前触れの音を聞く覚悟を決めて走らねばならない。
…とカッコ良いことを心の中で言ってみたところで、中年女と爺の二人連れでは、なんとも心もとないのである。
内心冷や汗をかきながらも車は落石を避けつつ奥へと進む。思ったとおり、道にはけっこう…と言うのか普通に…と言うのか、落石がある。
過去三回の来遠時は、山と川のルートは常に誰かしらの車に同乗していたのでさほど不安はなかったが、最もテクニックに信用の無い私の運転である。
そこで覚悟を決めて…じゃない、あっさり諦めてコスマ橋でUターンすることに。
せっかくだから川を覗いていこう。水の色はまだ冬の色だ。
前回の来遠では川などじっくりと見たことのないであろう父、じっと見下ろしている。

落石が多いとは言え、この道は立派な舗装路だ。発電のためのダムが作られたときに整備された道…ダムができれば当然景観も河川環境もがらりと変わるが、そのおかげにこうして私のようなものでもここまで入ることが出来る。

景色を堪能しつつ、道中また寄り道。

父が、ノートになにやら書いている。
『落石に命縮めど水清し晴れやかに神の山見ゆる彼岸かな』

川沿いに数件の集落が寄り添う所へ車を向ける。
奥深い山中に滔々と流れる遠山川は、山を越えた向こうに海があることを思い出させる。
透明な川面に、きらきらと日の光が遊んでいる。

山肌にはぽつぽつと、スミレが咲きだしていた。

記録に残っている限りでも3百年あまり以前から氾濫を繰り返して来た遠山川には、遠く寛政の昔から治水・砂防工事の歴史がある。
今も次々と作られ、計画が進められる砂防ダムは、遠山地域が生きて行くための重要な産業ともなっている。

遠山川には今三つの電力ダムがあり、作られた電力は遠い街へと送られる。
ダムの建設に伴い激変したであろうこの山と川の景観、その建設のため過酷な労力の殆どを担った戦中日本の統治下にあった人たちの言葉にならなかった叫び、それらを全部呑みこんで今も川は流れている。

「さあ、行くぞ。」と父の声で現実に引き戻される。
…なんだかおなかがすいたなあ、と思ったら時計はもう昼の12時近い。

さあ、お昼ご飯には和田の町でお好きな蕎麦でもいかが?お昼の後はどこに行こうか?
そうだ、小嵐神社なんてどう?木沢の集落の人たちがずっと昔から守っている歴史ある神社なんだって、前来た時にね木沢小学校で山の会の人に名刺渡したら自営業なら行けって言われてさ、いやー名刺はカッコつけてますけど実のところ下請けいや孫請けでしてって言ったんだけどいいから是非行って見ろって、そこは木沢の人たちが守ってる神社で、山の上にあって、赤い鳥居がいっぱいあっるんだって、そこが…え?なに?
喋ってないで運転に集中しろ?
…ハイ、ハイ。 (・・・そのⅡへ続く


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牛伏川の石積み堰堤

久しぶりに牛伏川を歩く。前に来たのは夏まだ暑いときだったろうか。
秋の冷たい雨のあとで、地面はしっとりと濡れている。

オトコヨウゾメの赤い実が晩秋の雫をまとってきらりと光っている。

牛伏川は元禄の昔から有数の暴れ川で、大崩落を起した後の山からしょっちゅう土砂が崩れて川に流出し、川下の田畑が埋もれてしまうということを繰り返してきたそうだ。
その牛伏川の土砂流出が、遠い新潟の信濃川水害の一因であるとされ(!)、明治に入ってから国の主導で牛伏川改修工事が行われた。
…なるほど昔の川は、山から海まですべて繋がっていたんだな。

そんなわけで300年ちかくに渡って山崩れを繰り返してきたこの土地は、明治のころまでは木も生えない裸地で、荒涼とした風景だったらしい。
川の砂防工事は「石堰堤工(石を使った砂防ダム)」「木工沈床(丸太と石材を組合わせて河床を保護する)」「護岸石積工(川岸に石を積み、水の激しい流れによって山肌が崩壊するのを防ぐ)」などが行われ、それと共に「種苗工」として荒地に植苗もされた。
たぶんそのときに、治山・法面緑化・防風林に最適と言われ、安価でよく増え成長も早いハリエンジュ(ニセアカシア)が大量にこの山にも導入されたに違いない。…そうしてこの場所はハリエンジュの森となった。
しかし、ご存知のとおり今やハリエンジュは「要注意外来生物」リストに名前が挙げられ、地域によっては伐採が進められていて、蜜源としてこの木を利用していた養蜂家たちは生活の危機に直面している。

そのためかどうか(たぶんそうなんだろう)、実は倒伏しやすく治山には向かなかった…と言うハリエンジュを在来の雑木に転換するべく、平成8年度から「林相転換事業」なるものが行われ、ハリエンジュの代わりにモミジ、ナラ、クリそしてカンボクやらウツギやらの雑木がそこここに見られるようになった。

『第二号』とされているこの「根止(ねどめ)石積堰堤」は幅約8m、高さ約7m。そう大きなものではない。
大きさのばらばらな石を組み合わせ、コンクリートを一切使わない「空石積(からいしづみ)」だ。

ここからさらに上流にも数箇所、このような堰堤がある。

コンクリートを使わない石堰堤で有名なものに、やはり明治時代に作られた大津市の石積み堰堤があるが、これは切石を布積みした石積みの中心にはなんと、タタキの技法を利用した(であろう)土が堤防の芯として入っているのだ。…でもどうやってタタキ締めたんだろう??川の流れの中で…。不思議だ。
この牛伏川の堰堤も大津市の堰堤と同じく、かれこれ100年が経過しているにもかかわらず、その姿を保ちつついまだに目的を果たしている。
もちろん改修や保全工事は行われているのだろうが、コンクリートの寿命を考えたとき、この堰堤が機能している「100年」という時間は十二分に長いように思う。

川沿いに設けられた山道の土留めに目が行く。
三日月型に積まれた石はいつの時代のものなんだろう、初めて根止堰堤工事が行われた明治か、それとも大正だろうか。

溜まった土砂の浚渫もできないまま、次々と作られる現在のコンクリートのダム。
この工事をした100年前の人たちは、未来をどんなふうに見つめていたんだろう。
現代の人間は、この目の前の「過去」をどんな風に受け止めればいいんだろう。

足もとに僅かに残された石畳を踏みしめながら、ぼんやりとそんなことを考えた。


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遠山郷

伊那谷。それは山深く、現代まで昔ながらの神楽の伝承が残る希少な場所。

信州の秘境、北信州の秋山郷、そして南信州の遠山郷。
秋山郷は二度訪ねたことがあるが、遠山谷は初体験の私。
南北に長い長野県、南の景色は松本の私から見ると異国である。

伊那谷のおとなり、木曽谷を車で走っていても、林道を歩いていても南木曽ともなると中信とは植生も風景もまるで違ってくる。庭先の垣根がふと見るとお茶の木だったり、ゆずの実がたわわに生っていたり、山には冬でもどことなく青々としているように見えるソヨゴやモチやツバキなどの常緑樹がたくさん茂っていたりする。
右を向いても左を向いても山だらけ、降雨量が多く山はいつも水を含み、山のそここには沢が流れ、美しい小渓流や滝を作っている。入る人間の数も分散されて少なくなるためか(笑)、松本周辺ではわざわざ探して歩くような野草も、道沿いに群落を作っていたりする。
そんな木曽も大好きなのだがそれとはまた別に、伊那谷には以前から一種のあこがれがあった。

漠然と抱いていた、山深い里のイメージ。どこかにまだ世間と隔絶された場所があり、密やかな山神の営みが今でも続いている…そんなものに対する興味と憧憬があった。

そんな私に突然、交通費無料送・自宅迎付きの遠山郷日帰りプランが降ってきた。
ひょんなことから遠山郷に関するマラニック・イベントの広報の裏方担当となった私、本日行うイベントのためのポスターとパンフレットの写真撮影に参加することとなったのだ。
まだ暗いうちに松本を出た神奈川の友人の車は、夜が明けたばかりの遠山郷へ向かう山道をどんどんと登っていく。私の今回の役割は撮影と取材?である。

遠山は良く晴れて、青空を背景に十重二十重に重なる深い山と、その背後に美しく白く輝く南アルプスが私たちを出迎える。

眼下には遠く、けれども石を投げれば私でも届きそうなほど真下に遠山川が光っている。

そして目線の真横の山の斜面には、朝日に照らされた下栗の集落が浮き立って見える。

私がいま立っているここはいったいどこなんだろう。
距離感も空間も時間ですら日常から遊離して、奇妙な、でも心地よい、浮遊するような感覚にしばしの間、とらわれる。

遠山川沿いに林道を行く。
途中合流した遠山郷の住人で、釣りガイドでもある本日の案内人の松下さんに
「これだけ(人家が)離れていてもやっぱり回覧板は持っていくの?」
と聞いて笑いを取る私。当然持っていくに決まっている、たとえ隣りの家まで数キロあろうとも。…歩いていくのかな。車かな。いや、遠山の人ならもしかしたら、歩いていくのかも。

再び再び走り出した車内でそんなことを考えていると、まわりはすでに釣りの話題に。イベントの発案と規格者は、皆釣り人なのである。
喋りながらも釣り人たちの顔は川を向いている。私はひたすら車のウインドウにオデコをくっつけて、反対側の山の斜面に目を凝らす。

…あっ!こんな山深くに犬がいる!「猟犬かな?」「そうじゃない?」

「…神様かな?」「そうかもね…。」てな感じの会話をしつつ、車は林道を奥へと進む。

紅葉の色はまだ残っていたが、すでに晩秋の景色の斜面。…さすがに目に付く緑は羊歯が殆どかな…。

車の終点、加ヶ良(かがら)の景色は真っ白な石灰岩が深い緑の川の色に映えて何とも幻想的だ。

重なる色づいた山の向こうに遠く南アルプスが霞んで見える。
急峻な白い山肌にしがみつく松、周囲の広葉樹のコントラストが美しい。

こんなに深い山のなかに、こんなに広い川幅で流れる遠山川。

松下さんが「見てごらん、あそこに少し砂利を掘ったような跡があるでしょ。アマゴの産卵床なんだよ」と浅瀬を指す。

遠山川沿いに戻り、車から離れて昔の森林鉄道跡を歩く。

遠く忘れ去られた過去が、時間を積み重ねてまだそこにはあった。

河原の石はどれも皆おもしろくて、カメラを向け出すとキリがない。
仏島と呼ばれる谷の岩盤の狭窄部分の石は激しい流れで洗われて、面白い肌合いを見せている。

目を引く赤いチャート石が、数十トンクラスのものから小石、砂利サイズまであちらこちらにゴロゴロしている。

いろんなものにカメラを向けているので、時間は限られているのにちっとも前へ進まない。
以前から友人たちに「私の移動時間はね、㎡単位なんだよmじゃなくって」
といかに自分の山歩き速度がゆっくりなのかを解説しておいたが、実際に私の歩く姿を見た同行人に
「平米単位じゃなくって、柳ちゃんは立米単位なんじゃない」と言われてしまう私…。
途中用事があって別れた松下さんたちに代わり、私の案内のため後から合流してくれた飯田の友人も、カメラを構えたままなかなか前に進まない私に
「まだ~?」
と呆れ顔である。
だってしょうがないじゃん。次があるとしたら交通費も自前でしょ?次はないかもしれないから撮るだけ撮らないと、ね。

…と言いながらも、
『次は自力で来よう…好き勝手にまわれるし。でもこの落石だらけの山道だけは一人はキケンかも…だいたい入ってきたら帰れないかも携帯通じないしう~ん』

と、落石でボコボコにへこんだガードレールを思い返して頭の中で勝手に逡巡する私なのだった。

不思議な場所、遠山谷。
山深いが、そこここに人の息づかいがはっきりと聞こえる。

次はいつ、ここに戻って来られるかな。
きっと誰もがそんなふうに思ってしまうんだろう、ここはそんなところだ。


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秋の滝めぐり

日曜日のひっさびさのキノコ山歩きに続いて、最近の私にしてみると本格的?山歩きツアー。
本日のガイドは岐阜の友人・釣り師のIちゃん。いつかの会話で、私が「あ~最近ぜんぜん山行ってないや。良く行った木曽の山がさ、良かったんだよねえ特に開田。あそこを入っていくとこんな感じのこういう渓流があってそこに」と喋っていたら「渓流」で目をキラリンとさせたIちゃん「そこ知らんかも、連れてってください。運転しますわ」と言われ、道中で待ち合わせて一路、木曽路へ。


開田高原。

幼い頃から山に育てられたIちゃん、ウッと言う崖でもひょいひょいと降りてゆく。


山は来るたび色や空気が違うのでとても楽しい。

秋の日にまぶしいほどの、見事なツツジの赤。


三岳地区のこもれびの滝。


ダンコウバイの鮮やかな黄。


西野地区の尾ノ島の滝。


木曽はいつも水が豊か。


木曽町の唐沢の滝。

この日は5つの滝を見て周った。
昨日のジコボウと今日の紅葉と滝で、ものすごく久しぶりで贅沢な連休となった。
…帰ってきて見た携帯に、誰からも着信がなくてものすごくホッとしたけど。
平日に行く電波の届かない場所は、良いような悪いような。


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信州池田の地酒・大雪渓

最近ウスラ寒くなってきて、ビールもいいけど日本酒もね。という夕方の気分になってきた。
お礼方々遠方の人に何を差し上げよう…と悩んでいて、うーーん有名どころがいいかな、んじゃ真澄を。…と思ったら近所の酒屋さんに無かった。
真澄、と言えば飯山のイトコが好きで、いつもコレだった。
二級じゃなきゃイヤなんだそうだ。スッキリ辛口でウマイお酒だ。
ジジ(父)は「夢殿」、はウマかったな~。と遠い目をしてウットリしていた。頂き物だったことは間違いないな。
そこで真澄はまた次回?ということにして私にとってはポピュラーな「大雪渓」生酒をクール便で送ったら、とってもおいしいと喜んでいただけて「長野は酒のレベル高いですね」なーんてことまで言われちゃった。

それを酒屋のおじちゃんに話したら「そうなんだよレベル高いんだよ長野。知らなかった?」へぇぇ。知りませんでした。
新潟とか東北とか、米どころのほうがそんなイメージあったんだけどな。
きっと、寒いから酒飲みが多いんだろうな。冬の間酒飲んで暖まらないと凍っちゃうんだろうな。
…そういえば長野県の中でもダントツに寒い諏訪地方は酒蔵も多いし有名なところもあるし(真澄の宮坂醸造も、諏訪)。

さて、というわけで?私もチャッカリ買っておいたお一人さま用小瓶大雪渓生酒で晩酌。このお酒もなかなか美味しいのだ。

でも日本酒を飲むと、夕飯後の仕事がどうでもよくなっちゃうんだよねぇ。
それで翌日、後悔するんだけどね。

大雪渓酒造株式会社
宮坂醸造株式会社


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多行松(たぎょうしょう)・高橋節郎美術館

穂高町にある漆芸作家の「高橋節郎美術館」へ行ってきた。
実家から車で十数分、いつでも行けると思うとなかなか行かないものだ。
家へ帰って仕事もしなければならないので、朝のうちにダッシュで回ることに。

素晴らしい枝振りの赤松・多行松。この風格、木の精が住んでいそうである。

高橋さんの作品は豪華絢爛、かつ確かな技術と技巧に溜息が出る。
同時開催されていた熊谷守一(1880-1977)さんの絵や書はいかにも素朴で、これもまた涙が出た。板に絵の具を塗り絵のように塗り、乾かないうちに削るようにして「線」で輪郭をとる…のだろうか。使っているのは西洋の油絵の具なのに、日本の田舎の、土の匂いがする色だ。
蟻を一日中観察していたり、池のメダカを何時間も眺めていたりした人だそうで、とっても親近感を感じてしまう私だった。
「線ではないよ、スジだよ」という会話が説明版にあり、ううむ。どっちだろう。と思った。

美術館は高橋さんの生家敷地の中にある。庭、生家や蔵部分は無料開放されていて、なかなかホッとできる場所。

人気のない敷地内を、なんとなくぶらぶらと歩いてみる。

なんと生涯学習のためのスペースやギャラリーとして、貸し出しもしている。

生家をじっくり見学してから、南の蔵へ。この美術館の、まるで時が止まったような空気感、いいよね…。

そこでは写真家・大沢成二さんの「デジタルで撮る屋久島」の写真展が開催されていて、これも木々や森の濃密な空気を感じられてとっても良かった。
大沢さんの濃くて深い森と木々の写真を見るうちに、高校生の頃に書店で偶然見かけて衝動買いした水越武さんの写真集「森林限界」を思い出す。良いよね、これ!て感じで画学生友達に貸して布教していたところ、最後に誰に貸したのか記憶が無いが返って来ず、そのまま行くえがわからなくなり、古書を買い戻した。ナケナシのお金をはたいて新品を買ったのになー。
そういうことはしっかり覚えてるんだよねw

大沢さんの写真の中に、月の光で撮ったと言う蒼い滝があり『真夜中の滝で撮影しているとき、屋久島の女神の助けを借りて恐怖が薄れた』と言う意味のコメントが添えられていた。
屋久島の深い森にある滝だ。しかも撮影は一人ぼっち。その恐怖、畏怖は想像に難くない。

屋久島山には今も、たくさんの精霊がいるのだろう。

[参考リンク]
・高橋節郎記念美術館HP
・フォトガイド(大沢成二さん)


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