
遠山川へ釣りに行った神奈川の友人がわざわざ松本に寄ってくれ、テーブルの上にずらりと魚を並べて「どれでも好きなの選んでよいよ」と言う。
「え~良いのぉ、じゃこれ♪」と一番大きいのを手にする、遠慮のエの字も無い私。だってこんなに大きいアマゴ、食べたことないんだもん。
これだけ大きくなれば私でもなんとか刺身にできるんだけど、以前に某場所で釣られたイワナの口の中にギリシャ文字の「パイ」の形をした白いものがいっぱい動いているのを目撃してしまってから、生の川魚は避けている私。
そこで、いつだったかやはり釣りも、釣った魚を料理をするのも好きな岐阜の友人に、美味しいアマゴ料理法を教えてもらった時に聞いた「バター焼き」にチャレンジしてみることに。
と、思ったらバターが無いじゃん(笑)なので、小麦粉はたいて塩コショウしてオリーブオイルとニンニクでムニエル風にした。
魚が大きいとやっぱりなんとなく大味かも。…でも最近塩焼きに飽きた贅沢な子供も喜んで食べていた。
個人的には川魚は25センチくらいまでが一番、美味しいような気もする。

中骨を取ると身が無くなりそうだったので(笑)二枚下ろしにしたため、残ったのはヒレと頭。
これは片栗粉でじっくり二度揚げしてから揚げに。
これがまた、ビールに合うんだよね~。

長野県には海が無い。
海が無いから、塩も生産できない…稀に「山塩」の取れる大鹿村の例もあるけれど、その生産量は海の比ではない。
だから縄文の昔から、塩は遠い海から信州へと運ばれてきた。
新潟県の糸魚川から松本、そして塩尻(塩の最終到達地点)へと運ばれた塩を『北塩』、一方静岡県の相良から県境の青崩峠、大鹿、諏訪を経て塩尻へ運ばれた塩は『南塩』と呼ばれた。そしてこの道を『塩の道』と言う。
諏訪地方は古くから猟・農具や漁具に使われた黒曜石の産地で、信州からは海へとこの黒曜石が運ばれた。諏訪に住む農家の友人から「子供の頃は畑を掘ると黒曜石の矢尻がいっぺぇ出たんだよな」な~んて言う話を聞くと、遠い縄文時代を身近に感じたものだった。

その信州産の黒曜石と『南塩』が縄文の昔から行きかった古道、遠州と信州を結ぶ青崩峠。
秋葉街道の中でも難所中の難所と言われ、現在も国道であるにもかかわらず崩落が激しく車道の建設ができずに、人しか歩けない峠道である。

この名前に惹かれていつか歩いてみたいと思ったのは、もう随分前のこと。
老父と遠山の話をするうち、実は父も「青崩峠は生きているうちに一度は行ってみたかった」ことがわかり、御年を考慮するともう次の機会はないだろうと、二人で峠を歩いてみることにしたのだ。

昨夜宿泊したのは八重河内川に沿って佇む、秋葉街道の老舗の旅籠『島畑』さん。早朝に起床して、そそくさと車に乗り込む。

朝が一番朝腰の調子が良い父のため、朝飯前の峠歩きである。

山崎さんに教えていただいた工事車両の転回場にMT2シーターの愛車を止め、いよいよ峠へ。

この侘びた峠の名前に対して抱いていた私の想像を覆すように、峠の登り口は偽木できれいに整備されている。

随分歩きやすい遊歩道ではないですか…と思いきや、

程なくして大小さまざまな落石が遊歩道に現れた。

中には板を破って大穴を空けているものも…思わず山肌を見上げる。


もしかしたらこの石灰の山に緑化事業で植林したのかもしれない歩道沿いの木々は、山ではただでさえ曲がる根元が土砂に押され、完全に斜めに…いや、ほぼ真横になっているものもあった(大汗)。

峠道の途中の青崩神社の鳥居には根から倒れた木が架かったまま、共に苔むしている。

そして石段を登った斜面に建つ青崩神社も、

背後の木が神社に向かって根ごと倒れ、しかしその太い木の幹は真横に聳える松の木に支えられ、何とか落ち着いて??いる。
この松がここになかったら、倒伏した木は神社の屋根を直撃していただろう。どうか地震が来ませんように…とビクビクものである。

深々と頭を下げて参拝する父。私も真剣な心持ちで道中の無事を願って手を合わせた。

膝が悪く、無理をすると歩けなくなったり、血圧が高く薬を飲んでいるくせに、せっかちで「ボチボチ」とか「ノンビリ」と言う言葉が辞書に無い父は、足場の悪い道を私よりも早足で、杖を突きながらさっさと登ってゆく。

写真を撮りながら急ぎ足で父を追いかける私。
整備された道も途中から、落ちてきた石で板が割れたり、押し流されて無くなったりし始めた。


せっかく信州の真ん中からはるばるその最南端の地まで来て、しかも中央構造線の真上を歩いているのだし、断層の『露頭』なんぞを探してみたいなんて思っている私の心を知ってか知らずか、「早く行くぞ、オイなにしてるんだ」と相変わらずせっかちな父である。

途中、『あのあたりが露頭なのでは…』と砂防堰堤のほうへ回り込む殆ど朽ちた足場を辿ろうと浮気心を出してみるものの、また老父に呼び戻されあえなく露頭探しは断念することに…し、仕方ない…。


「青崩れ峠」と言う名のとおりに、青白く細かく崩れ落ちたばかりの石灰質の山肌に沿って歩くと、砂防堰堤で止めても止めても傾れ落ちる『動き続ける山』の中に私は立っているのだ、という実感が湧いてきて、なにやらそら恐ろしくなってくる。

まるでセメントのような青灰色の山のザラ石に、思わず崩壊してゆくコンクリート堰堤をイメージしてしまう
(そして、そのイメージが嫌いではない)私。

遠くに見える反対側の山肌から、鹿の鳴き声が何度も何度も聞こえてくる。

人気もない山の中で、その声は深い谷に大きくこだまして、まるで迷子になって足場を失い悲しげに親を呼ぶ子供のそれのようだ。

足を止めることなく歩く父の気持ちもわからないでもない…そうだ、あまり離れずさっさと歩かなければ。

車を置いた治山工事の工事車両の転回場から峠の頂上までは30分ほどと聞いていたので、もう少しで峠だろう。
…が、ここでやはりせっかちな父が
「いかん、血圧が上った。俺はここで待ってるぞ」ってホラ言わんこっちゃ無い(何も言ってないけど)、ゆっくり登ってくれば良いものを。

こんな携帯も通じない山奥で爺さんを担いで下りたりなんかしたら私もくたばってしまう。仕方ないね、残念だけど、じゃ私だけ失礼、と休みどころに父を残して峠の頂上へ向かい早足に登る。

空が近くなり、まっすぐな階段を上りきると峠の頂上にひょっこりと出た。

峠の国境は、崩れ落ちそうな道を登ってきた私が拍子抜けするほどさっぱりと整備され、南向きの立派な丸太のテラスまで作られている。

テラスの上から静岡県の山々を見渡す。Hello, Sizuoka!
う~ん…感無量。
あの山々の向こうには、海が広がっているんだな。数千年前の人間が、この同じ道を踏んであの山の向こうから塩を運んできた…その時歩いた人が見た景色は、木々は、今とどう違っていたのだろう。

明治時代の製紙用材のための伐採、そして戦中戦後の軍用目的による森林伐採が始まるまで、遠山地方からこの静岡・水窪にかけて古く豊かな森林が広がっていた。
天を衝くばかりの様々な樹種の巨木たちが生い茂っていたに違いない。

その頃の景色を、この深い山々を見ていながらも私は想像することができない。
・・・おっとそうだ、父を待たせているんだった。

あまり感慨に浸っているわけに行かない、と急ぎ写真を撮って戻ろうとするが、この立派なテラスからは長野県側の山が見渡せないではないか。

そこで熊伏山への登山道入り口を少し登り、クマザサにつかまりながら狭い道の脇に逸れて足場の悪い崖っぷちに立つ。

おお、見える見える。深く切れ込んだ谷と、折重なる山々。
遠い遠い昔、ここは海だった。
地球を生きものと捉えるなら、父や私が生きてきた長い時間ですら、地球のまばたきほどの時間ですらないのだろう。
地球は呼吸をしていて、体の中を燃え滾らせ、その皮は動き続け、圧縮され押し上げられひび割れ、その跡を私たちは目にして驚いたり感心したり写真に撮ったりしている。

そしてこの瞬間も地球は生きていて、この地面の下の下には血のような真っ赤な流れが渦を巻いているのだ。

…そう考えてしまったら、こんな狭い足場に立ちひょろひょろの木にしがみついている自分が愚か者に思えてきて、足が震えた。
後ろを振り返りながらそっと後ずさりして登山道に降りる。朝日に照らされながら坂道を登ってかいた汗に代わって出てきた冷や汗をぬぐいながら、テラスへ戻った。

ホッとすると同時に空腹を覚えて時計を見ると、時間はちょうど8時になるところ。
遅めにとお願いした朝ごはんの時間に間に合いそうだ。

峠から見た遠山谷は視界を覆いつくす山、また山だった。
それは私には、人間が支配しきれない場所にも見えた。

地球の皮を覆う山、そして川…地球がちょっとくしゃみをしただけで、それはひび割れ、そして溢れる。
そんな地球のリズムに同調して生死を繰り返す、木々と森の生きものたち。

きっと私たち人間は、地球の皮を永遠に繕い続けるのだろう。

中央構造線上に聳えるこの山々は、今も動き続けている。

親子の珍道中・遠山紀行は、上村の伝承館から下栗、そして遠山川をチョコッと見た前回に引き続き、和田の町へ。

蕎麦好きな父のため、昼食は丸西屋さんへGO。…あれっ、こんなところにも私が作ったポスターが!w この席になったのは偶然です。

蕎麦好きの父は美味しい蕎麦にご機嫌である。

しっかり食休みもして、お会計のときにおかみさんに
「あの~小嵐神社ってここからどう行くのでしょうか」と道を尋ねる。前回の来遠時に出会った木沢の皆さんから「商売の神様だから、是非行け」と言われていたのだ。
解りやすそうな目印を教えていただき、元々記憶力が長持ちしない私と、記憶力が衰えている爺は一安心。
「道は林道ですか?けっこうハードなんでしょうか」と更に訪ねるとおかみさんが
「道はそんなでもないけどねぇ、落石がけっこうあるんねぇ」
とにこやかに、かつさらりとおっしゃるので、また内心冷や汗をダラダラとかく私。
落石…釣り人たちから聞いた遠山郷の「パンクの洗礼」あれもこれもと思い出す。い、嫌だ。
でも何処を走っても集落が途絶えたらまさに山、というここ遠山、もう行くしかない。…怖くなったら、すぐに戻ろう…。
学校の横を入り、上り坂を行くとすぐに民家は途絶え、道は急な登りへ。
「あれ?道、こっちかな??」どっちへ入って行っても山、という分岐にやや迷いながらも上へと進む。
そして少し不安になった私、前からステッキを突いて歩いてきた老夫婦を見つけるやいなや車を止め「あのうすみません、ちょっと教えていただけますか、小嵐神社は…」と道を尋ねる。
「ああ、そうな、ここから20分くらいかな。」こっちで良かったんだとホッとする。
お2人に礼を言ってまた車を走らせながら、父に
「…ねえねえ、この先になんにもなさそうなんだけど、どこから下ってきたんだろうねぇ、あのお2人」と聞いてみるが「わからん。」とアッサリした返答。
きっとお散歩だよね。でもハードな散歩だなあ…私ならザックを担いで山歩きの装備かな…そして手にはステッキだけだったな…。
乾いた山の斜面の間の道を車は登り続ける。
…うん?なんだか道がほこりっぽくなってきたぞ。
あ。やっぱり

ここ、こわい。落石だ(細かいけど)。
しかも、手で退かすにしてはパラパラすぎる鋭利な石…、竹箒が欲しいぞ。大胆に踏んで行く車が殆どなんだろうけれど、私のン年越しのスタッドレスではいつシュ~、となるかわからない。
上手なのか下手なのか自己判断できかねる避け方で、車を走らせる。
途中どうしようもない落石をどけながら……いいよ爺は車から降りなくて!
だからいいってば私がどけるってば!石が落ちてるって事はまた落ちてくるってことでしょ!!そんなにのんびりどけてたら危ないって!!チョッと爺さん!!!
良かれと思ってしていることで親子喧嘩もみっともないので、腹の中でそう叫びながらとりあえず一度目はお礼のみ言う。次は短気でせっかちな父よりも先に、私がドアを開けよう(笑)。
落石をどけながら、それでも車は更に山道を登り、…ねえ…本当に神社、あるの??まさか通り過ぎたとか…

と心元なくなってきたとき、視界が開けた。

小嵐神社だ。すっかり心細くなっていた私、ホッと安堵して車から降りて体を伸ばす。
あ~~ヤレヤレ、やっと着いた。さあ行こうか…あれ、行かないの?昼寝して待ってるって?朝早かったしね、じゃ、ちょっと行ってくるね。
あたりはしんとして、鳥のさえずりが聞こえるだけ。
山の斜面に目をやると、重なった赤い鳥居が見える。

車一台通らず、私たちのほかは人っ子一人いない山の上。
趣があるのを通り越して、神様がじっとこちらを見ているような畏怖を感じる。

社の立つ斜面には無数の鳥居が奉納されている。
商売の神様と言われるこのご神体に対する人々の信仰心の深さに、言葉を失う。
うす暗い杉林の中の、小高い丘の上に建つ社。奉納された無数のお稲荷様のひとつひとつが、人びとのそんな切実な思いを語りかけてくるようだ。
社とお稲荷さんたちにカメラを向けるのは憚られ、私はそっと、そして足早に社を後にした。

累々と重なる赤い鳥居を眺めながら、父の待つ車へと急ぐ。
足早に歩く私は、人間の日々の生活への期待と不安、そして富に対する憧れと執着を受け止める神様の迫力に圧倒され、手を合わせただけで何も願わなかったことを思い出す。
帰り道は来た道を戻らずに木沢へ抜けてみようかと思っていたが、しんとした小嵐神社の雰囲気とこの先の落石に不安を覚えて、やはり来た道を引き返すことにする。

道中何事もありませんようにと念じながらハンドルを握り、無事に山を下り人家が見えたときは心から安堵した。
里に帰してくれてありがとうございます。本気でそう思った。
今も木沢集落の人々によって大切に守られ、真新しい鳥居が増え続ける小嵐神社。
ここ遠山には、今も無数の神々が住んでいる。
(・・・そのⅢへ続く)
孝行をしたいときには親はなし
…という諺を最近ふとした拍子に思い浮かべてしまう、万年親不孝な私。
そんな私が意を決し、齢八十に限りなく近づかんとする父をMT2シーターの愛車の助手席に乗せ、信州の最南端を目指して一泊二日の旅に出た。
朝日に照らされ晴れやかな顔で私たちに手を振る北アルプスに暫しの別れを告げ、南アルプスの麓を目指し、安曇野インターから高速へ。

旅の目的地は南信州・遠山郷の長野県と静岡県の県境である青崩(あおくずれ)峠だ。
マラソンイベントの手伝いのために遠山に通うようになった私が、土日に面倒を見て貰っていた娘を迎えに行き土産話(だけ)で誤魔化していると、父が「青崩れ峠は一度歩いてみたかった所だなぁ」。
…えっと、それじゃあの、行きましょうか?一緒に。
免許は返上していないが、目や足腰が衰えて遠出が出来なくなった父。「遠山郷」にはかれこれ、20年前に旅したことがあるそうな。それは、狭く曲がりくねった山道に不安を感じながらの旅行だったそうだ。
今は10年ほど前に開通した矢筈トンネルのおかげで、松本から2時間半ほどで上村に入ってしまう。
私の遠山行きは、去年から数えて今回で三回目だ。
三回も来ていればさぞやあちこち回れていそうなものの、記憶に残る場所といえば遠山川、それも一部分のみ。何故か?
それは、イベントの言い出しっぺが釣り人であり、彼らが行くところと言えばコースと「遠山川」オンリーだったからである。
そして1日のうちに取材だけでなく挨拶やら会議やらのミッションをコンプリートせねばならず、私は『あああそこも是非行って見たかったとこじゃん!おおここも見てみたかったとこ…』と寄ってみたい「興味しんしんポイント」を恨めしげな横目で見ながらスルーしつつ、毎回忙しなく帰途についていたのである。

これまでにしたこともないことを突然すると大雨が降るとか言うけれども、高速道路から見上げる目的地上空はさわやかに晴れ、親不孝ムスメの旅の行方に雨雲を招かなかった南アルプスに感謝する。
さて、完全プライベート旅行の今回こそ私的チェックポイントを網羅するぞ。

霜月まつりが行われる、上町正八幡宮。

町並みに溶け込む、上町正八幡宮のたたずまい。それは日常に溶け込み、神様との敷居の低さが感じられる風景だ。

石段の横には見事な杉の木がある。
この杉は、どれほど長い年月、上町の人々とその祭りを見守ってきたのだろう…って杉の肌をしみじみと撫でている場合ではないぞ。
さあ次だ、上村の歴史と文化を学ぶべく上村伝承館へGO。

町筋は明るく、けれどひっそりとしている。
本の虫で館内のお面がレプリカであることを知っている父はいまひとつ気乗りがしない様子だったが、敷地内の古民家「ねぎや」を見るなり
「おおっ、これは20年前に泊まった下栗の宿とよく似てるぞ」と興味津々。

伝承館は貸し切りだった。
館長さんの話を伺いつつ、館内をじっくりと見て歩く。
「写真は撮ってもよろしいでしょうか?」と了解を得て、私達のほかには誰も居ないのを良いことにフラッシュを炊かずにシャッターを押し続ける。

山岳信仰や山の民衆文化にとても興味がある私。
実際に人が手で触れ、暮らしの中で使われてきたこんなものを見ると、いろいろな想像が膨らむ。

そして民具も着物もガラスケースに入っていない所がまた、良い。

山ばかりのジオラマも面白い。
この険しい山中に、よくぞこれほどの集落が発展したものである。古くから物流に、戦国時代は進軍にと、ここ秋葉街道は交通の要だったのだ。そして今日の宿は静岡へ向かうその秋葉街道沿い、長野県の最南端に近い八重河内だ。

あっ、こんなところに私が作ったポスターが!!遠山郷各所に貼るとは言われていたが、こうして実際に目にするとやっぱり嬉しいな。
館長さんと記念撮影。
ウエブサイトも作って募集したら参加者も順調に集まり、ホッとしている。
館長さんにお礼を言って上町を後にする。
父の旅の目的はひとつだけ、青崩峠を歩くことのみ。今日の宿は八重河内なので、峠歩きは明日の朝にしてある。
宿に入るまで、時間はたっぷり。
という訳で「せっかくだからさ。下栗、登ってみようよ~」と、看板にしたがって左折して「下栗の里」へ。


途中寄り道をしてシャッターを押しながら、山道を登る。

下栗は幾度か通ったが、軽自動車でも狭く感じる急勾配・急カーブの九十九折れが続く。
歩いた方が早いんではないか…という速度で車を走らせ、その車を避けて道に立ち止まるおばあさんに「あ、どうもすみません、こんにちは」と私達は頭を下げながらゆっくりと登ってゆく。
下栗集落の九十九折れは有名で、あちこちのHPやガイドブック、観光パンフレットにも、そして全国版の地図にも「日本のチロル」などと紹介されている。
急斜度と見おろす真下の遠山川の遠さ、目線にある霧が立つ重なる山々、そしてその向こうの南アルプス…この空気、この景色の特異さはやはりこの場所に立ってみないとわからない。
シーズン前でまだ営業していない「ばんば亭」の駐車場に車を入れて、よくガイドブックに出てくる撮影ポイント・「斜面に立つ空き家と南アルプス」を撮影。

ここ下栗も、奥に発電所が出来たとき道も舗装されてだいぶ良くなったそうだ。家々の間には、ちょうど下栗名物・「二度芋」の植え付けが始まったであろう急斜面の畑が点在している。
立って鍬を振るうのも大変な苦労だろうな、と感心しながら早春の下栗の風景を父と無言で眺める。

あっ、なんと下栗にも私が作ったポスターが!w
下栗もマラソンコースに入っているけど歩くだけでもキツイ道だよ?
父の反応を見ていると、20年前と比べても集落の雰囲気はあまり変わっていないようだ。当時泊まったと言う宿は今は閉じられてしまったらしいが、探そうとしても父の記憶が古すぎて、場所がわからない。
しばらく景色を眺めながらのんびり休憩して、下栗を下る。せっかくだから遠山川も見てもらおう。
「ちょっと、行ける所まで行ってみようか。心配ならすぐに戻るから」
行ける所と言えば南アルプスの登山口、聖光小屋までは車で行けるのだが、この道、そのまんま石槍や石ナイフになりそうな、とんがった落石がけっこう多いのである。
そして道の上にあるということは、あたりまえだが上から落ちて来た、と言うことだ。
車の窓を半分ほど開けて(全開はなんとなく怖いから)落石の前触れの音を聞く覚悟を決めて走らねばならない。
…とカッコ良いことを心の中で言ってみたところで、中年女と爺の二人連れでは、なんとも心もとないのである。
内心冷や汗をかきながらも車は落石を避けつつ奥へと進む。思ったとおり、道にはけっこう…と言うのか普通に…と言うのか、落石がある。
過去三回の来遠時は、山と川のルートは常に誰かしらの車に同乗していたのでさほど不安はなかったが、最もテクニックに信用の無い私の運転である。
そこで覚悟を決めて…じゃない、あっさり諦めてコスマ橋でUターンすることに。
せっかくだから川を覗いていこう。水の色はまだ冬の色だ。
前回の来遠では川などじっくりと見たことのないであろう父、じっと見下ろしている。

落石が多いとは言え、この道は立派な舗装路だ。発電のためのダムが作られたときに整備された道…ダムができれば当然景観も河川環境もがらりと変わるが、そのおかげにこうして私のようなものでもここまで入ることが出来る。

景色を堪能しつつ、道中また寄り道。

父が、ノートになにやら書いている。
『落石に命縮めど水清し晴れやかに神の山見ゆる彼岸かな』

川沿いに数件の集落が寄り添う所へ車を向ける。
奥深い山中に滔々と流れる遠山川は、山を越えた向こうに海があることを思い出させる。
透明な川面に、きらきらと日の光が遊んでいる。

山肌にはぽつぽつと、スミレが咲きだしていた。
記録に残っている限りでも3百年あまり以前から氾濫を繰り返して来た遠山川には、遠く寛政の昔から治水・砂防工事の歴史がある。
今も次々と作られ、計画が進められる砂防ダムは、遠山地域が生きて行くための重要な産業ともなっている。
遠山川には今三つの電力ダムがあり、作られた電力は遠い街へと送られる。
ダムの建設に伴い激変したであろうこの山と川の景観、その建設のため過酷な労力の殆どを担った戦中日本の統治下にあった人たちの言葉にならなかった叫び、それらを全部呑みこんで今も川は流れている。

「さあ、行くぞ。」と父の声で現実に引き戻される。
…なんだかおなかがすいたなあ、と思ったら時計はもう昼の12時近い。
さあ、お昼ご飯には和田の町でお好きな蕎麦でもいかが?お昼の後はどこに行こうか?
そうだ、小嵐神社なんてどう?木沢の集落の人たちがずっと昔から守っている歴史ある神社なんだって、前来た時にね木沢小学校で山の会の人に名刺渡したら自営業なら行けって言われてさ、いやー名刺はカッコつけてますけど実のところ下請けいや孫請けでしてって言ったんだけどいいから是非行って見ろって、そこは木沢の人たちが守ってる神社で、山の上にあって、赤い鳥居がいっぱいあっるんだって、そこが…え?なに?
喋ってないで運転に集中しろ?
…ハイ、ハイ。 (・・・そのⅡへ続く)

今日は何と豪華山かけマグロつき!
晩御飯を終えていつものようにコタツでゴロゴロしていたムスメが、とつぜんニヤニヤしだしたかと思ったら私を見上げて、
「ねえねえ おかあちゃんてさ〜、『演歌の女王』の主人公にそっくりだね」ときた。
…何ソレ?マンガ?「ううん、テレビのドラマ。」なに?オマエ帰ってきてからテレビなんて見るヒマないのによく知ってるじゃん。え?小学5年生に載ってたって?
「うん、ホラホラここ〜〜(と、雑誌を持ってきて見せる)」…マジ?主人公ってアノびじんの天海 祐希じゃないですか。女王の教室なら数回見たけど。やだなぁ〜そんなに似てる?「ううん、顔じゃない。」………
「あのねえ、この主人公ねえ、すご〜〜〜〜くおせっかいなんだよー。それでいろいろトラブルに巻き込まれてねえ…」トラブル?なんじゃそりゃ。
「でもってねえ別れた旦那さんがいてねえ、それがいまでもいろいろと…」もういいもういい、その辺で止めてくれ〜。
確かにいまさっき、立て続けに3件の電話がかかってきてせっかくのスパゲッティがのびちゃったりしてるけど(涙)そゆこと?じゃないよね。
私自身はトラブルと思ったことはないけど、ドトウの人生を送っているね、とは人からよく言われる。確かに次から次へとよくまあ、色んなことがあるもんだと我ながら思う。
…で幸い私よりもはるかに元気な老両親が言うには「もういいかげんに金にならんことに手をだすのはやめとけ」。
…あのね、私は一度も、自ら進んで手を出したことはないのよ。それは向こうからやってくるもしくは天から降ってくるの、例えば通り道に大きなゴミが落ちてたら拾うでしょ?道の真ん中に人が倒れてたら声をかけるでしょ?え、そんなことやんないって?マジか。
まあ結果的におせっかい貧乏になっているのは、間違いない…かもしれない。
ムスメの言うようにやっぱり一生『(顔は似てない)演歌の女王状態』なんだろうか(それ、まるで良いとこなさそう)。
テレビの主人公の人生は最終回でどうなるんだろう?
ドラマなんていまじゃまったく鑑賞しないんだけど。
…見てみようかな、『演歌の女王』。

母から貰ったカレイの煮つけとお隣さんからいただいた野沢菜のしょうゆ漬けで、ワイン。
子供が学校から持ち帰るお便りにこんなのがあった。
「お酒、タバコ、薬の害をビデオを使って学習しました。飲酒による害、そしてタバコは…」
以前も思ったけどどこかカチンと来る書き方である。
いつだったか忘れたが、晩御飯いつものように「その他の雑酒」の缶をプシュっとやったら、娘に
「おかあちゃんってアルコール中毒?」と無邪気な顔で聞かれたことがあった。どこで覚えてきたんだそんな言葉。
仕方ないのでアルコール中毒の症状とそうなってしまう原因といろいろ説明したけれど、誤解は解けたのか不明(笑)だ。
私は小さい頃から親が2人とも晩酌する家庭で育ったので、お酒に対しては神経質じゃない方だと思う。
オンナノコだし、ムスメだって初めての飲み会でひっくり返って危ないことにならないように、自分のアルコール許容度くらい知っておいた方がいいと思っているくらいだ。
こんなこと書くとまた誤解されちゃうかな。
「お酒を飲んだことがある人、と聞いたら半数ほどが手を上げましたが…」
ともおたよりには書いてあった。
ウソのつけないムスメ、3歳の時七五三でいただいたお神酒のことを考えて手を上げたんだろうな、バカめ。
あの時上の息子は「からい~!」と言ってぺっぺしていたが、ムスメは
「おいちい♪」(←当時三歳児)と言ってたんだよ~とおもしろがって話してやったのが間違いだったか…。
そんなことを考えながら紙箱ワインを用意する私。
でも夜の仕事が毎日なので、せいぜい二杯だよ?
だから誤解しないでね。